変形性股関節症と30年②|人工関節か自骨手術か―私が受けた2つの骨切り術

健康

前回は、長い間原因が分からなかった足の痛みから

「変形性股関節症」と診断され、
最終的に「末期」と言われるまでを書きました。

そして私が選んだのは、
人工関節ではなく、自分の骨を使う手術でした。

でも、「自分の骨を使う手術」と言っても、いったい何をするのか。

説明を聞くまでは、私自身もよく分かっていませんでした。

今回は、人工関節か自骨手術かで迷ったこと、

そして実際に私が受けることになった手術について書いていきます。

※これは約25年前の私自身の体験です。

当時ホームページに書いていた記録をもとに、今の視点も少し加えてまとめています。

手術についての記述は、当時私が主治医から受けた説明と実際の体験をもとにしています。

転院して、ようやく納得できる先生に出会えた

とうとう転院。

とにかく「少しでも痛みを取りたい」
ことと、

「できることなら自分の骨を残したい」という希望がありました。

それまでにもいくつもの病院を受診してきましたが、

ここでようやく「この先生なら任せられるかもしれない」と思える主治医に出会うことができました。

病気そのものが良くなったわけではありません。

でも、自分が納得できる説明をしてもらえること。

そして、この先どうするのかを一緒に考えてくれる医師に出会えたこと。

それだけでも、ずいぶん気持ちが違ったのを覚えています。

そして、いよいよ自分の股関節の現実と向き合うことになりました。

関節症は、もう「末期」

診断は、前の病院で言われたとおりでした。

変形性股関節症の末期。

軟骨はほとんどなくなり、
骨と骨がぶつかっている状態だと説明されました。

「それは痛いはずだ」

説明を聞きながら、妙に納得してしまいました。

長い間感じていた違和感や痛みの理由が、ここでようやくはっきりしたのです。

提示された治療方法は2つ

私に提示された治療方法は、大きく分けて2つでした。

ひとつは、人工関節にすること。

もうひとつは、自分の骨を使って手術をすること。

どちらも簡単な選択ではありませんでした。

人工関節という選択

ひとつめは、とにかく頑張れるだけ頑張って、

その後、人工関節にする方法でした。

当時の説明では、
自骨手術に比べれば入院期間は短く、

痛みもかなり改善することが期待できるとのことでした。

アメリカなどでは若い人でも人工関節にしてしまうケースもある、という話も聞きました。

だったら人工関節でいいんじゃない?

そう思いますよね。

私も考えました。

ただし当時、人工関節の耐用年数は15~20年程度と説明されました。

できれば60歳くらいまでは避けたい手術だとも言われました。

その時の私はまだそこまでの年齢ではありません。

この先の人生を考えると、簡単には選べない選択でした。

もうひとつの選択「自分の骨で手術する」

もうひとつが、自分の骨を残す手術でした。

もう少し状態がよければ、
いくつか方法があるそうですが、私の場合はすでに末期。

先生からは、

「取れる手術方法はひとつしかありません」

と言われました。

そして、こちらの手術はとにかく大がかりでした。

入院期間は約4か月。

その後は、

両松葉杖

片松葉杖

と進み、杖が取れるのは早くても9か月後くらい。

とにかく半年は何もできず、その後の半年も半人前。

そんな説明でした。

しかも、手術をすれば必ず痛みがなくなるという保証もありません。

どこまで改善するのか。

そして、その状態が何年もつのか。

それも分かりませんでした。

当時、主治医からは、

この手術を受けた人が長い年月を経てどうなっていくのかについて、

まだ十分なことは分からないという説明も受けました。

今でこそ、私たちのように手術から何十年も経った人たちの経過が積み重なっています。

でも当時の私には、ずっと先の自分がどうなっているのかを知る材料はほとんどありませんでした。

説明を聞きながら、

これは「治療」というより「賭け」に近いのではないか。

そんな気さえしていました。

さて、どっちを選ぶ?

何度も家族会議を重ねました。

人工関節にするのか。

自分の骨を残す可能性に賭けるのか。

今の生活を取るのか。

将来を取るのか。

考えれば考えるほど、決められなくなります。

子どもは12歳、6歳、1歳。

私はフルタイム勤務。

4か月入院するということは、
単に私が4か月家にいないというだけの話ではありません。

1歳の子を誰が見るのか。

上の子たちの生活はどうするのか。

家事は?

仕事は?

そして退院したって、すぐに元の生活に戻れるわけではありません。

正直なところ、どちらを選んでも楽な道ではありませんでした。

それでも――

このまま痛みを抱えて過ごす未来の方が、私には怖かったのかもしれません。

それでも、自分の骨を残すことにした

最終的に私は、

自分の骨で手術する

ことを選びました。

可能性を信じてみようと思ったのです。

もちろん怖くなかったわけではありません。

4か月の入院も、その後の長いリハビリも不安でした。

手術をしても、思ったような結果にならない可能性だってある。

それでも、

「やってみりゃなんとかなるだろ」

これまでも、そんなふうにやってきた人生。

今回も、その延長だったのかもしれません。

今振り返ると、このときの決断が、
その後の私の生活を大きく変えることになります。

ところで「自骨手術」って何をするの?

自分の骨を残す。

そう決めたものの、問題はここからです。

では、実際に何をするのか。

手術の説明を聞いて、その内容に正直驚きました。

それまでぼんやりとしていた「手術」というものが、一気に現実として迫ってきた瞬間でした。

私が受けることになった手術は、正式には、

「キアリ骨盤骨切り術」+「大腿骨外反骨切り術」

というものでした。

要するに、片方だけでは足りなくて、

骨盤側と大腿骨側の両方を切る手術です。

ここまで進んでしまうと、自分の骨で手術できるギリギリのタイミングだとも言われました。

キアリ骨盤骨切り術

まずは骨盤側。

股関節は、

大腿骨の先端にある丸い骨頭を、
骨盤側の「お椀」のような部分が覆っています。

私の場合、この骨盤側の屋根が十分ではありませんでした。

骨盤の「お椀」の部分を2か所横に切り、真ん中を内側にずらして屋根を広げる。

さらに立体的に削って形を整え、骨がくっつくまでピンで固定する。

当時、私はそのように説明を受けました。

そして驚いたのが、そのピン。

体の外に出しておく

というのです。

「えっ!?」

と思いました。

でもその方が、抜くときに切らなくて済み、病室で抜くことができるとのこと。

理屈は分かります。

分かりますけど……。

いやいや……って感じですよね(笑)。

大腿骨も切る「外反骨切り術」

しかも、私の手術はそれだけでは終わりません。

同時に大腿骨も切って、骨頭の向きを少し変えます。

まだ残っている軟骨の部分を上に持ってきて、新しく作ったお椀にはめる。

こちらはスクリューやワイヤーで固定して、1年半後に取り出すという説明でした。

つまり、

今回の手術が終わったら、それですべて終了ではない。

「まだあるんだ……」

という気持ちでした。

手術説明は、まるで設計図

先生は図を描きながら説明してくれました。

「ここの楔(くさび)形の切り込みの角度は20度くらい」

「ここは、切ってから何センチくらいずらす」

そんな話が次々に出てきます。

聞けば聞くほど、

人間の体なのに、まるで設計図。

骨を切って、角度を変えて、位置をずらして、固定する。

しかも骨盤と大腿骨の両方です。

それまで私が思い浮かべていた「手術」とは、かなり違うものでした。

でも同時に、なぜこの手術をするのか、先生の説明を聞くことで少しずつ理解できるようにもなりました。

ただ「手術しましょう」と言われるのではなく、

今、自分の股関節がどういう状態なのか。

なぜこの方法なのか。

どこをどう変えるのか。

その結果、何を目指しているのか。

一つひとつ説明してもらえたことは、手術を決めるうえでとても大きかったと思います。

25年前のレントゲンが、今も手元にあります

そして、手術前と手術後のレントゲンは、今も私の手元に残っています。

これ、病院からもらってきたものです。

先生に、

「このレントゲン、もらえませんか?」

とお願いしました。

すると、

「そんなこと言う人、初めてだよ!」

と言われました(笑)。

それでも、当時ホームページに自分の闘病記を書いていたこともあって、どうしても残しておきたかったのだと思います。

それから約25年。

まさか、そのレントゲンをもう一度ブログに載せることになるとは、当時の先生も思っていなかったでしょう。

もちろんデータではありません。

昔の大きなレントゲンフィルムです。

今回、窓に当てて写真を撮ってみました。

左が手術前、右が手術後です。

手術後のレントゲンには、骨を固定するために使われたピンやスクリュー、ワイヤーが写っています。

先生から手術の説明を受けたとき、

「まるで設計図みたい」

と思った私ですが、こうして約30年ぶりに改めて見ると――

「私、よくこんな手術したな」

と思います(笑)。

手術を決めたら、次は「4か月家を空ける準備」

手術方法が決まりました。

でも、これで一件落着ではありません。

むしろ私にとっては、ここからが現実でした。

入院予定は約4か月。

子どもは12歳、6歳、そしてまだ1歳。

しかも退院すれば、すぐに家事も育児もできるというわけではありません。

母には毎日実家から通ってもらい、夫には朝と夜を担当してもらう。

家族全員で支える体制を作らなければ、私一人が「手術を受けます」と言ったところでどうにもなりません。

病気の手術なのに、考えなくてはいけないのは自分の体のことだけではありませんでした。

子どものこと。

家のこと。

仕事のこと。

そして、長期間動けなくなる自分自身のこと。

今振り返っても、手術を決断すること以上に、

「私がいなくても4か月間、家が回るようにする」

その準備の方が大変だったような気もします。

でも、もうやると決めました。

あとは、ひとつずつ準備していくしかありません。

そして、いよいよ入院の日が近づいてきました。

今振り返って思うこと

あれから約25年。

今こうして当時の記録を読み返すと、自分でも「よくこの手術を選んだな」と思います。

4か月の入院。

長いリハビリ。

そして当時は、何年自分の骨でいられるのかも分からないと言われた手術。

しかも小さな子どもが3人いて、仕事もしている。

先のことを全部考えていたら、決められなかったのだと思います。

自分の骨を残せる可能性があるのなら、やってみる。

あのときは、それしか考えていませんでした。

そして――

「この手術をして、いったい何年もつのか」

当時は分からなかったその答えを、25年後の私は少しずつ知ることになります。

でも、その話はもう少し先で。

まずは、長い入院生活の始まりです。

次回

次はいよいよ入院。

手術前の準備から、実際の入院生活、そして手術へ。

約4か月に及ぶ入院生活が始まります。


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